今晩はあゆ3です!(^^)!
乾燥、寒さの季節と
なってきました。
ウィルスの活動も活発
となる時期です。
手洗い、消毒、換気
マスクなどなど
感染対策、さらに気をつけて
参りましょう。
今年の休日は
ほぼほぼ自宅で
読書、映画、ドラマ鑑賞を
楽しんでいます。
先日、尊敬する友達が
「好きな映画なの」
と言って薦めてくれていた
「第七の封印」を観てみました。
イングマール・ベルイマン
1957年制作 スウェーデン
ストーリー概要はこちらから
後の多くの映画、映画監督に
影響を与えた作品です。
「神の存在、不在について」
観る人の宗教観にもよるかな。
人それぞれの考え方
ですので、正誤はありません。
監督は生い立ち、
人生を生きる上で
「神の存在」について生涯
思い、考え、苦しんだ
人なのだそうです。
(園子温監督の「愛のむきだし」
を思い出します)
十字軍に参加して10年ぶりに
故郷へと帰る騎士の前に
死神が現れ、彼に死を告げます。
騎士は死神をチェスに誘い
勝ったら自分を見逃すよう
勝負を挑みます。
これは十字軍に参加した彼の
「神の実存に対する賭け」
でもあったのでしょう。
けれどはなから死神は
チェスに勝とうが負けようが
騎士の命を奪っていったのでは
ないかと私は考えます。
これは抗えない
自然の摂理なのでは
ないでしょうか?
劇中、騎士の従者が
‘‘ある気まぐれな生き物‘‘
について語る場面が
あるのですが
「死神」もそのような
ものであるとベルイマンは
言いたいのかもしれないな
と、私は感じました。
「それ」には
大した意味も意思もない。
気まぐれのような、、、
そして当然
死神がいるということは
「神」もいるという
ことなのでしょう。
では、果たして神とは?
途中マリア様とその子
も現れるのですが
「人」に対して無関心。
なのですよマリア様が(^^;)
自分の子供にしか
その眼差しは向いていません。
その時代、ヨーロッパでは
黒死病が蔓延していて
人々は苦しんでいました。
監督の想い、考えとして
「神は在るけれど
ただ、在るだけ」
なのではないでしょうか?
死神同様生命の営みの中で
神も無慈悲。無関心。
私はこの映画を観終わった後
ホーキング博士の
「人格のある神は信じていない」
と言う言葉と
作家の梨木香歩さんの
「自然は無慈悲で
人に対して無関心である」
という言葉が強く
心に浮かんできました。
一瞬姿を現す
マリア様とその子は
旅芸人一座の男にしか
見えません。
彼には死神も見えます。
これはラストへの
伏線となるのですが。。。
彼の信仰心は
「神に感謝し、
在ることを自然とし
日々を家族と
穏やかに過ごす」
ということなのです。
神に期待や望みは
多分持っていないのでしょう。
騎士が一時の安らぎを
得る場面があるのです。
それは、旅芸人家族の
なんということのない穏やかな
ある晴れた日の一場面を
目にしているとき。
死神は旅芸人の家族
にも目をつけるのですが、、、
騎士、従者、旅芸人の座長
団員の男と妻、子
口のきけない娘、
魔女裁判にかけられる女、
救いを求め行進するものたち。
ラスト、黙示録に記された
神の審判、裁きのような
出来事が起きるのですが
彼らの運命は?
生まれた時から
お寺、神社で育ったものですから
キリスト教の歴史には疎くて。
いやいや、お寺にも神社にも
疎いな(^^;)
その辺りも学びつつ
何回か観て、色々な人と
議論を交わしてみたい
そんな映画でした(^^)

Comments