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桜と圧倒的不在

  • 執筆者の写真: Ayu3
    Ayu3
  • 4月14日
  • 読了時間: 2分

あゆ3です(^.^)。 4月に入り、大分暖かくなって 参りました。

桜が咲いています。今が満開。

ここ数日~1週間が見頃でしょうね。 今日は休日でしたので、歯のメンテナンス 買い物などで辺りをブラブラと。 そんな中での出来事です。



2月に母が亡くなりました。


脊髄小脳変性症の闘病の末 腎不全でした。


発症したのは60代くらいです。


最後の2年は、ほとんど寝たきり でした。


看る方も、看られる方も、

たぶんしんどかった。

でも、今になって思います。

もう少し、できたんじゃないかなって。


もう少し手を握ったり、

目があった時に笑って見せたり。

柔らかい言葉を選ぶとか。


そういうのって、終わってからしか

考えないし、後から思う事で。


終わるまでは「いつかまた」と思ってる。


でも、そんな「いつか」なんて、 あっという間に来なくなるもの

なんです。



母の人生は、幸せだっただろうか。


わからないです。

たぶん訊かれても母は困るでしょう。


母が亡くなって約2か月。 人が亡くなった後によく言われる



「そばにいるよ」「見守ってるよ」。


そんなふうには、何故か思えないのです。 全然感じないし、思えない。(笑)


母は、いない。はっきりと、いない。


気配なんかしない。


いないってことが、あまりにも圧倒的で、

消えた、っていうより、溶けたみたいな。



葬式では、泣きました。 ちょっとだけ。義務みたいに。


泣いたことに安心して、あとは普通にして

ました。



それで、今日。


道ばたで見た桜がずいぶん咲いていて きれいだったので、

車から降りて、写真を撮りました。


そしたら、急に母の顔が浮かびました。



寝てるときの顔。

うすく目を開けたまま、何も言わなかった顔。 病院で「仕事あるから帰るよ。」 って言った時の顔。


急に胸の中で水がプシュって音を立てて、

涙が出ました。


あぁ、母はいないな。

圧倒的にいないんだな。


圧倒的にいない」 と感じたのは

私の中に


「母が圧倒的に存在していた」

証拠なのかもしれません。


なぜ今日だったのかは、わかりません。


けれど、桜の花って、なんか、母に似てる。


ちょっとだけ血色の悪い、春の色。



桜はもうすぐ散ります。


風に吹かれて、地面に落ちて、


ぬれて、土にまじって、


それで終わる。


母も、そうやって、終わったんだと

ちょっと、思ったりしました。



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